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10年以上前のお話です。

まだ会社員だったころ、初めてある部署の責任者になったことがありました。若かった僕は、人の上に立てたという誇らしい気持ちでいっぱいでした。

でも、だんだんとプレッシャーも感じはじめ、部下に対し、同じ会社の仲間なのに、「自分が若いからといってなめられてはいけない」「ミスを見せてはいけない」という気持ちでいっぱいになりました。自分のことばかり気にして、部下の気持ちを慮ることにまで気がまわっていなかったのです。

責任者がこんな状態では、仕事がうまくいくはずがありません。実際この頃は、「なんでこんなにダメなんだろう?」って自分を嗤いたくなるくらいうまくいきませんでした。そんなどん底のとき、見かねた先輩が飲みに誘ってくれて、こんな話をしてくれました。

「完璧な人間なんていないんだから、別にミスしたっていいんだよ。でもそのときは、部下に対してきちんと『ごめんなさい』『申し訳なかった』って謝るんだ。反対に部下がミスして謝ってきたら、なぜミスが起こったかだけを具体的に指摘してあげて、許してやる。そして責任はお前が取れ」

部下に謝るということは、まだ若く無駄にプライドが高かった僕には正直抵抗がありました。でもそのときには「自分のプライドなどを気にしているからだめなんだ」と考えて、とにかくやってみました。自ら進んでミスするつもりはもちろんなかったけれど、間違えてしまったときは素直に「すまなかった」と謝り、部下がミスしたときは指摘だけして許し、上司には僕が謝るようにしました。

これだけで、本当に、劇的に変化しました。

それまでは仕事で用があるとき以外は話しかけてこなかった部下が、いろいろなことを相談にきたり、報告が細かくなったり、笑って冗談を言ってきたり、部下のほうから飲みに誘ってくれるようになったのです。年上の部下でも、それは同じでした。仕事はとてもやりやすくなり、悩みもかなりの部分、解消されました。アドバイスをしてくれた先輩にそのことを話して御礼をしたとき、こんなことを言ってくれました。

「素直に『ありがとう』『ごめんなさい』って言うことは、すぐに実行できて、かつ、いっきに人との距離をつめることができる“魔法の言葉”なんだよ」

心理学を学びカウンセラーとして活動している今の自分から見れば、そのときの僕はストロークが不足している状態に陥っていたのだ、とわかるのですが、当時の自分にはわかりませんでした。組織の力関係で上にいる人が下の立場の人に謝るのは相当なエネルギーが必要です。でも、だからこそ、実際に「すまなかった」と言ったときのインパクトも大きいのですね。会社の中だけではなく、家庭でも、友達同士でも、間違ったときは素直に頭を下げて「ごめんなさい」と謝ってみましょう。

「ありがとう」という言葉も同様です。出し惜しみせず、照れずに、相手が何かしてくれたときには、いっぱい「ありがとう」を言いましょう。

いつも顔を合わせている家族、恋人、友人、同僚に対して「そんなことあたりまえじゃない、言わなくてもわかっているよね」なんて思っていませんか?わかっていても、実際に言うか言わないかでは、100と0(ゼロ)の違いがあります。きちんと相手の目を見て、笑顔で「ありがとう!」って言いましょう。

「ありがとう」と「ごめんなさい」。これだけで人間関係はかなり良い方に変わると思います。
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アートセラピーという心理療法があります。

クライエントに絵を描いてもらって、深層心理に近づこうという方法です。アートセラピーにも色々な種類がありますが、その中の一つに「スクウィグル法」というものがあります。

「スクウィグル」とは、簡単に言えば、「なぐり描き」のことです。クライエントに、画用紙を渡し、思うままに線を描いてもらい、色をつけてもらう。

何を描いてもよいのです。

渦巻きをいくつも描く人もいれば、波や丸、四角を織り交ぜて描く人もいる。画面いっぱいにひたすら往復線を描く人もいます。十分に描ききった、と思えたらそこでやめてもらい、書きあがった絵を見ながら言葉でのやり取りに移ります。

スクウィグルで大切なのは、「○○を描いて下さい」ではなく、「何を描こうか考えずに、手の赴くまま、自由になぐり描きしてください」という指示をすることです。つまり、スクウィグル法は、心の奥底に在るのだけれど自分では気がついていないある感覚に光をあてる方法なのです。

学校でこの技法を学んだ当時、自分でもやってみましたが、描いている瞬間は無心に近い。画用紙に描かれているものは心の奥の何かを表しているはずですが、描いている時は何も考えていないのです。

これは、まさに「直感」です。

理屈ではない。

「直感」を描いている。

言葉にするとやっぱり矛盾をはらんだ表現になりますが、そうとしか言いようがないのです。そして描き終えた「直感」を、カウンセラーと共に話し合い、今度は言語化していく。

不思議な体験でした。

複数の人たちと一緒に描いたのですが、誰一人として同じ絵はありません。そして、何も描けない、という人も誰もいません。

つまり、心の底にみんな「何か」を持っていて、そして一つとして同じものはない、ということです。

その「何か」は、いいものなのか、悪いものなのか、わかりません。でも、“自分の中には、まだ自分ですら意識していない広大な世界が広がっている!”と思えるのは楽しい。なかなか気分がいい。あれもやろう、これもやりたいな、っていう気持ちになれる。

もっともっと、自分を探ってみましょう。

グリーフワークは「嘆きの仕事」「嘆きの過程」といわれています。

もっと簡単に言えば、“思いきり泣くこと”です。今まで抑え込んでいて言えなかったことを口に出してもらい、嘆く。クライエントを十分に泣かせてあげる。

今まで抑え込んでいたものって、何でしょう。
失ってしまったものへの嘆きでしょうか。
欲しかったけれど得られなかったものへの想いでしょうか。

子供の頃の無邪気さ。
大きい父の背中。
あたたかい母親の抱擁。

お酒を飲んでは暴れていた親。
男の子が欲しかったのに、という言葉。
秘密、恥があるのに外面は取り繕っていた家族。

こうしたすべてを嘆き、思いきり泣くのです。
インナーチャイルドを思いっきり泣かせてあげる。

そして、泣きじゃくっているインナーチャイルドを「子供のあなたが悪かったんじゃないよ」と認め、受けとめてあげる。

大人になってから思いっきり泣いたことってありますか?
どんなときでしたか?

「大人は人前では泣かないものだ」という通念があるし、男性の場合などは「男が簡単に泣くもんじゃない」なんて言われたりします。思い切り泣くことって、なかなか無い。

ましてや、ずっと大人になるまで押さえ込んできた想いです。幼いころ心の中で成長がとまってしまったインナーチャイルドは、とまったそのときから大人になった今まで、凍っている時間のほうがはるかに長いはずです。

だから、まずは「泣いてもいいんだよ」という許しを自分に与えてあげましょう。

大人になっても、亡くなった人を偲んで泣くこと、もっとこうしてあげればよかったと思って泣くことは許されますよね。自分の中で失ってしまったもの、本当はこうしたかったのに、と思って泣くことだって許されるはずです。

自分の中のインナーチャイルドを、思いきり泣かせてあげてください。
そして、

「大変だったね」
「もう大丈夫だよ」
「自分の思うとおりにしていいんだよ」
「あなたは存在に値する子供なんだよ」

とやさしい態度で言葉をかけてあげてください。

最後に、あなたのインナーチャイルドを、ぎゅっと抱きしめてあげましょう。

「いつでも私が助けてあげるからね」と声をかけながら。

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本来であれば、ここは前回の続き、「インナー・チャイルド」の(2)を書く予定でしたが、昨日強く想ったことがありましたので、そのことを書きたいと思います。

昨日、山口県光市事件の判決が下り、犯行当時18歳30日だった元少年に、死刑判決が言い渡されました。

死刑制度の是非や、弁護団が主張してきた内容の是非は(私自身思うところはありますが)、今日話したいことの主旨とは異なりますので書きません。

一連の報道を見ていて私が心を突き動かされるのは、遺族である本村洋さんが発する一つ一つの言葉の持つ重みです。

犯行があったときから9年が経過しています。当時23歳だった本村さんは、いま32歳です。一般社会でいえば、これから充実期に入る年齢です。しかし、本村さんの発する言葉の重みは、年齢だけでは計り知れない重みを感じます。

本村さんにとっての9年は、ただの9年ではありません。決して好ましいことではなかったかもしれませんが、とても重い内容を、何度も何度も考え、自問自答し、心の中で元少年に問いかけ、なくなった妻子を想い、そしてまた繰り返し考える…という9年だったと思います。

そういう経験を経て語られる言葉は、とても心に響きます。完全に自分の言葉として語られているからです。本村さんにとっては、言葉に重みを持たせるきっかけとなった事件はとても悲しいものでしたが、「言葉の力とは」「言葉の重みとは」を常に考えている私は、本村さんの一つ一つの言葉に、強く感銘を受けました。

最後に、少々長いですが、判決後に本村さんが語られた言葉で、強く強く私の心に残った言葉を引用させていただきます。

「厳粛な気持ちでこの判決を受け止めています。遺族としては満たされたのですが、社会にとってみれば事件をめぐり私の妻と娘、そして被告の3人の命が奪われることになるわけで、これは明らかに社会にとって不利益なことです。私はこの事件にあって、いわゆる刑法というものは社会正義を維持するための手段だと思っています。たいへん重い判決が出されましたが、それで終わるのではなくて、私たちもこの重い判決を受けて、今後の人生をまっとうに生きていかなければならないと思います。社会のみなさまにも、どうすれば犯罪も被害者も生まない、死刑という残虐な刑が下されない社会になるのか考える契機にならなければと思います。死刑の存廃が騒がれるようになるかもしれませんが、刑罰がどうすれば社会が安全で平和な環境を作れるか考える契機になることを願います」

私の心の中に、銘記しておこうと思います。

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アダルトチルドレンは、子供時代に家族、親から受け容れられず、愛されなかったために、心に傷を持ったまま大人になった人たちです。

自活能力のない子供は受け容れられなければ生きていけませんから、その家庭で生き残るために「ニセの自分」を演じ、以後ずっと演じ続けます。本来子供が持っている、天真爛漫な気質は凍りついて成長が止まり、かわりに「ニセの自分」がそのまま自分のベースになり、大人になっていきます。

しかし、あくまで「ニセ」は「ニセ」であり、「真の自己」ではありません。当然、無理が生じて、生きづらくなります。子供時代に負った心の傷のために、本来ならのびのびと天真爛漫である「真の自己」が、成長できずに凍りついたままになっているのです。この、成長がとまって凍りついた自己を、「内なる子供」=「インナーチャイルド」といいます。

インナーチャイルドは、アダルトチルドレンの心の中で、小さく、おどおどして、うずくまっています。

そして大人になった体と合致せず、生じた隙間をアルコールやギャンブルで埋めたり(=依存症)、自分が自分そのままであってはいけないと思い込んだり(=アダルトチルドレンの特徴)します。

インナーチャイルドを解放し自由にしてやり、大人になった今の自分の体にマッチするように育ててあげましょう。本当の自分を取り戻すために、成長がとまってしまったインナーチャイルドを癒してあげましょう。

自分の内なるインナーチャイルドを癒す一つの方法として、「グリーフワーク(=嘆きの仕事)」というものがあります。

…長くなりそうなので、続きは次回。

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どうすれば共依存から回復できるのでしょうか。
いくつかあげてみます。

○自分の周りの問題をきちんと見つめ、「問題がある」ことを恐れず直視すること。現実を現実として冷静に受けとめる。

○直視した問題に真正面から取り組むこと。逃げずに、勇気を出して。

○問題に取り組むときは、自分に忠実であること。自分の気持ちに素直になる。

○そして、取り組んで出た結果にとらわれすぎないこと。どういう結果であっても「真摯に問題に取り組んだ」という経験をつむことが大切。

これらはすべて「自立した人間になる=自己を確立する」ということです。自己を確立した人間になることの第一歩は、もう何度もこのブログでも書いていますが、「自分を知ること」です。自分のことを深く知り、様々な場面に直面したときも「自分が今どういう状態なのか」を冷静に把握できるようにすることです。

共依存は、「依存症の人との境界があいまいになっている状態」ということもできます。ですから、“自分と他人とは考え方も感情も違う個別の人間である”という自覚を持つことができれば必ず線引きができます。その上で、自己の確立に力を注ぐのです。

自己が確立できている人とは、

“しっかりした自分の目標があり”
“自分の好み(好き嫌い)が把握できており”
“自分の満たされない部分がわかっていて”
“自分ひとりでバランスがとれる人”

だと思います。

自分のことを客観的にとらえて理解し、自立に近づいていきましょう。

共依存の特徴について、心理療法家の西尾和美先生は16項目あげています。少し長くなりますが、全て挙げてみます。いくつあてはまるかチェックしてみてはいかがでしょうか。

□自らを犠牲にして相手を助けたり世話をしたりする。

□相手の行動、感情、考え方、状態、結果を変えようとコントロールする。

□問題や危機が起こっているような人間関係に巻き込まれていることが多い。

□依存心が強く、一人でやっていけるという自信がなく、見捨てられるかもしれ
  ないと不安に駆られる。

□ある特定の相手のことで頭がいっぱいで、視野が狭い。

□自分の問題はたいしたことはないと思ったり、いやなことは見てみぬふりを
  したり、表面はなんでもないようにふるまう。

□相手との境界線がはっきりせず、相手が落ち込んでいると自分も気持ちが
  落ち込んでしまったりする。また、他人の問題にのめりこんだり、相手から
  の精神的、性的、身体的進入を許してしまったりする。

□罪の意識におそわれやすく、相手の問題は自分のせいだと思い込んでしま
  いやすい。

□過去の人間関係の間違いから学ぶことができず、同じ間違いを繰り返す
  傾向がある。

□被害者意識にとらわれ、自分は犠牲者だと思い込み、弱々しくなる。

□自分の周りに害があるのに、波風を立てぬよう、問題を明らかにしない。

□相手から離れられないでしがみついていることを愛情と取り違えている。

□ 「こうあるべきだ」という社会の通念、または「こうなるはずだ」というファン
  タジーにとらわれやすい。

□相手の気分を敏感に察して、先へ先へと頭を働かせたり、心配したりする。

□「ノー」が言えず、なんでもかんでも引き受けて疲れてしまったり、恨みが
  つもったりする。

□責任感が強すぎて、なんでもがむしゃらにやりこなす。

             (西尾和美「アダルトチルドレン 癒しのワークブック」より)


いくつチェックがついたでしょうか。5つ以上の項目に当てはまる人は、共依存かもしれません。

共依存の厄介なところは、度が過ぎなければ、日本人の行動様式の中では「よい人」ととれるものも含まれているところでしょう。共依存の人ほど他人の世話をよくする「よい人」として見られがちなのですね。

逆に言えば、無意識のうちにやっていること、言っていることが、実は共依存的なものであることも多いのです。

依存症とは、子供時代に親から十分な愛情やストロークを得ることができず、心に空虚感を持ったまま大人になり、その空虚感を埋めるために、アルコールや薬物、ギャンブル等に依存し続ける人たちのことを言います。

そうした依存症の人たちを支えるのが、共依存です。

支える、といっても決して良い意味ではありません。結果的に依存症を助長させることになるので、依存症の人にとっても共依存の人にとってもよくない状況をもたらします。

共依存は、たとえば、子供時代に十分な愛情や愛情のこもった言葉を得られなかった人が、人の世話をすることでやっと認められてきた、という場合になりやすいものです。言いかえれば、子供時代に「人の世話をしないと認められなかった」ということです。親から無条件に受容してもらえず、「条件付の受容」しかされなかった。

親から愛情を得られなかったり、また怒られてばかりで時には暴力までもふるわれていた子供が、自分の周囲の誰かの世話をしてその当人から感謝されたり、別の人から「○○ちゃん、えらいわねえ」と誉められたりすると、「私は人の世話をすることで(のみ)、認められるんだ」、裏返せば「私は人の世話をしないと認められないんだ」と幼い心に強く刷り込まれます。

そうした人が大人になると、自分のことより他人の世話に夢中になり相手の責任まで取ってしまうので、結果的にその他人をますます無責任にしてしまうことになります。

こころの空虚感を何かで埋めずにはいられない依存症の人と、人の世話をしなければ認められないと思っている共依存の人が出会うと、ガッチリ噛み合ってしまい離れられなくなります。

「なぜあの人は、あんないい加減な人と付き合っているのだろう」というカップルを見たことがありませんか。

「なぜあんなに暴力を振るわれているのに、離婚しないんだろう」というご夫婦を見たことがありませんか。

もしかしたら、依存症と共依存が噛み合って、離れられないのかもしれません。

「アダルト・チルドレン」ということばを聞いたことがあると思います。

これは、「子供っぽい大人」「子供がそのまま大人になったような人」という意味ではありません。
正確には、

“Adult Children of Alcoholics”
(アルコール依存症の親のもとで子供時代を過ごして大人になった人)

“Adult Children of Dysfunctional Family”
(機能不全家族のもとで子供時代を過ごして大人になった人)

という表現の前半部分が用語として通用するようになりました。

アルコール依存や機能不全家族のもとで育った子供が心に何らかの傷を負い、その傷が原因で大人になっても生きづらさを感じる人たちのことです。

アルコール、薬物依存。
買物、セックス依存。
摂食障害。
ワーカーホリック。
ギャンブル依存。
非行、暴力、虐待。

こうした依存症として表れたり、不安神経症や抑うつ神経症として現実生活に悪影響を与えたりします。

何かに依存するということは、本来なされるべき方法で満たされなければならない心が満たされていないので、空虚感にさいなまれて別の何かで埋める(満たす)、ということです。

悲しいのは、この負の連鎖が子供にも受け継がれてしまうことが多い、ということです。

もともと空虚感を埋めるやり方がわからずにアルコールで埋めていた親が、子供に別の方法を伝えられるわけはないのです。親自身もわからないから苦しんでいるのです。悲しいことです。

なんとかして負の連鎖を断ち切らなければいけない。

そのためには、まず「自分は、何が、どこが満たされていないのか」しっかり見据えなければなりません。つらい作業ですが、ここから始めます。そして、満たされなかったのは子供だった自分が悪かったのではない、ということを認めてあげる。その上で自分の人生を「生き直す決意、再決断」をするのです。

少しでも、苦しみが少なくなればいい、苦しむ人が少なくなればいい、と心から思います。

心理学におけるストロークとは、「他者の存在を認め、その認めたことをあらわす言葉や行動」のことです。

たとえば言葉によるストロークは、普段の挨拶、相手をほめる、励ます、等。言葉を用いない場合でも、目を見つめ合う、うなづき合う、相手の話にじっくりと耳を傾ける、等があてはまります。あとは握手、キス、子供が相手だったら抱っこする、というスキンシップもそうです。

ただ、ストロークにはプラスだけでなく「マイナスのストローク」もあります。

プラスのストローク:相手が気分良く受け取るもの
マイナスのストローク:相手が辛さ、痛みとして受け取るもの

もちろんマイナスよりプラスのほうがいいので、人はプラスのストロークを求めます。しかし、何らかの理由によりプラスのストロークが得られない場合は、人はマイナスのストロークであっても求めるようになります。

つまり、人にとって一番つらいのは「まったくストロークがない」ことで、「ない」よりはマイナスでもストロークがあったほうがいいのです。

たとえば、いじめなどの現場で人を無視する場合(あんまりいいたとえではないですが)、その人の前で意地悪っぽく「プイッ」と無視するのは、「無視してるよサイン」が相手に伝わるので、実はマイナスではありますがストローク交換がなされているといえます。

しかし、存在そのものを認識していないように無視する(だれもそこにいないように振舞う無視の仕方)場合は、まったくストロークが交換されていないので、とても辛いのです。自分の存在がないもののようにふるまわれるのは、認められたい欲求を本来的に持っている人間にとっては本当にきついものなのです。

ストロークが得られない人はこの辛さを満たすために、ひきこもったり、ゲームに没頭したりします。またマイナスでもいいから自分を周囲に認めてもらおうと手段を講じるようになります。その結果、関係がこじれたり、けんかになったりすることもあります。

健全なストローク交換をしたいですね。
方法は、簡単。

○与えるべきストロークがあったら、照れずに伝えましょう。
「今日は一段と綺麗だね!」「あなた、とても頼もしいわ!」

○欲しいストロークがあったら素直に求めましょう。
「ヘアスタイル変えたの。似合うでしょ?」

○欲しいストロークが来たら、遠慮しないで受け取りましょう。
「今日のネクタイ、素敵ね!」「ありがとう、僕も気に入ってるんだ!」

○欲しくないストロークが来たら拒否して否定しましょう。
「その言い方はきついなあ」

○自分自身にもストロークを与えましょう。自分をホメ、自分を愛し、自分を理解しましょう。
素直に率直に話し、行動しましょう、ということです。

どれもちょっと勇気を出せば、すぐできますね。

もう一度、自分が行っているストローク交換をチェックしてみませんか。それで、みんなで幸せになれたら、とてもすばらしいことですね!

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