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先日、ある集まりに呼んでいただきました。カウンセリングとは全く関係のない、気楽な集まりです。

そこで、「自分のことって自分でもよくわからない」というお話と、「結局自分のことは自分が一番わかっている」という正反対のお話がでました。

みなさんは、どう思いますか。

私は、どちらも正しい、と思います(その答えはズルイ、なんて言わないでくださいね笑)。

一般的には、自分のことを客観的にわかっているときに、「自分のことをわかっている」と言えると思います。「他者との関係の中で自分のことを理解している」ということが、「自分をわかっている」ことになる、ということです。組織の中で「大人として振舞う」なんていうときが、このケースですね。

心理学的に言えば、「どんな悩み事でも、その根は自分の心の中にある」「自分を受けとめ心を見つめましょう」ということになります。自分の心に中には言語化できないモヤモヤがあります。そのモヤモヤを言葉で表すことで具体化し、自分の気持ちを浮き彫りにする。この場合、答えは自分の中にある、ということです。

つまり、なんらかの答えは自分の中にある、という点では「自分のことは自分がわかっている」ということになるのですが、その答えが言語化されていないと言う点では、「自分のことなのにわかっていない」と言えるということです。

なんだか禅問答のようですが、まさにこの不明確さが、人の心のあり方をあらわしていると思います。そしてこういう「ゆれ」のようなものを、私は悪くないな、と思います。


※「カウンセラーの想い」過去記事タイトル一覧
No.52「理論と現実」
No.51「夢・霊体験」
No.50「イメージトレーニング」
No.49「イメージ法」
No.48「動作法」
No.47「腹式呼吸」
No.46「自律訓練法」
No.45「ともに生きる」
No.44「リラックスする」
No.43「詩を書いてみる」
No.42「内観法」
No.41「認めてほしい」
No.40「みんな違っていい」
No.39「負の連鎖」
No.38「右脳と左脳」
No.37「3つの相談」
No.36「自分の価値観」
No.35「自己愛性人格障害(4)」
No.34「自己愛性人格障害(3)」
No.33「自己愛性人格障害(2)」
No.32「自己愛性人格障害(1)」
No.31「フォーカシング(2)」
No.30「フォーカシング」
No.29「恋愛依存症(3)」
No.28「恋愛依存症(2)」
No.27「恋愛依存症(1)」
No.26「論理的帰結」
No.25「言葉の力」
No.24「ゲームサイトの落とし穴」
No.23「子どもとプロフ」
No.22「学校裏サイト(2)」
No.21「学校裏サイト(1)」
No.20「ネットと子ども」
No.19「出来事と意味」
No.18「『寄り添う』という意識」
No.17「人生脚本」
No.16「『ありがとう』と『ごめんなさい』」
No.15「直感を描き出す」
No.14「インナーチャイルド(2)~グリーフワーク」
No.13「言葉の重み」
No.12「インナー・チャイルド(1)」
No.11「依存症と共依存(3)」
No.10「依存症と共依存(2)」
No.9「依存症と共依存(1)」
No.8「アダルト・チルドレン」
No.7「ストローク」
No.6「自己一致」
No.5「自分はどう見えているか」
No.4「気持ちを汲む」
No.3「なぜ人は悩むのか」
No.2「自分探し」
No.1「思うところあって」
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少し前に、アダルトチルドレンの自助グループに参加する機会がありました。

参加といっても、実際にはお手伝いとして立ち会っていただけだったのですが、こうしたグループワークに参加したのは初めてだったので、とても勉強になりました。

その日実施したのは、インナーチャイルドセラピーのグループワークです。

アダルトチルドレンは機能不全家族で育った人たちです。幼かった頃の自分(インナーチャイルド)に向き合い、自分の想いや悩み、たまった鬱屈や言いたいのに言えなかったこと等を出し切ることで、インナーチャイルドに許しを与え、生き辛さから抜け出すことが目的です。

6~7人で1グループになり、気持ちを伝える本人役1名、父母役各1名、他のメンバーは本人の心の声役として参加します。父母役と本人役の人が向かい合って座り、心の声役はその周りに座る、という形です。

本人役の人は、たまった想い(親への不満であったり、文句だったり、罵倒だったり、いろいろです)を父母役の二人に向けて話します。

もちろん実際の両親ではないのですが、そんなことは関係なく、本人役の人は皆、堰を切ったように話し始め、ほとんどの人が号泣しながら思いを伝える、というある種の迫力に満ちたものでした。

心の声役の人も、本人の気持ちになって父母役の2人に話します。本人ではない他者に自分の気持ちを代弁してもらうことで、精神的に自分の思いを補強する感じ。

父母役は、本人の話を受けて、「そういう思いに気がついてあげられなくてごめんね」という主旨の話をします。本人役が落ち着いたら、役割を交代して再度実施していきます。

すべて終わった後に、みんなでわかち合うのために話し合いをしました。

私は勝手に、「みんなスッキリして気分が良くなっているんだろうなあ」と思っていたのですが、意外にも半分の人は「辛かった」「重い気分になった」と言っていました。

これはまだ、インナーチャイルドを癒しきれていないということで、継続的にこうしたセラピーを、様々な方法をまじえながら、実施していかなければならないのですね。簡単にはいきません。

参加したみなさんが抱えている心の闇の深さに衝撃を受けたのと同時に、きちんと救われている方々もいらっしゃって、こうしたセラピーの、「現実レベルでの重要さ」を感じることができました。当たり前のことですが、理論だけ学んでいても足りませんものね。

いい経験をしました。
がんばろう、という気持ちが、また新たになりました。


ちょっと突飛なタイトルかもしれませんが、決してオカルティックな話ではありません。

じつは、前回の「イメージ」のお話の続きです。

続き、というか、応用、派生、といった方がよいでしょうか。

人間は無意識の領域が90%、意識の領域が10%で、ほとんどが無意識領域である、ということは前回も触れました。

しかし、あることに関して問題意識を強く持っていれば、無意識領域の底に眠る深層心理が、問題解決のヒントを「ひらめき」という形で知らせてくれることがあります。

それが、「夢」「霊体験」としてあらわれる、と考えるのです。

「夢」や「霊体験」を、深層心理が知らせようとしている何かのシンボルとしてとらえる、ということですね。

面白いですね。

夢や霊に対する気持ちが、少し変わってきませんか?

「夢」については、すでにそういうとらえ方がずいぶんなされていますが、「霊体験」については考えたこともありませんでしたし、そういう発想も私にはありませんでした。

「霊体験」の場合、見えた霊をシンボル化してとらえるわけですから、

「実際に霊が見えたか否か」
「霊が実在するのかどうか」

は関係ありません。あくまで、自分が見たもの、感じたものは自分の無意識、深層心理からのメッセージであるととらえるのです。

よく言われる「虫の知らせ」「胸騒ぎ」等も無意識からのサインだと考えられますが、それらと同じものだと考えるのですね。

わたしは幼い頃から全く例体験をしたことがありません。しかしこういう考えを知って、いつか霊体験をしたときにそなえて、心の準備をしておかなければ、と思うようになりました。

私は怖がりでもありますが、ただ怖がっていては自分の無意識からのメッセージを見逃してしまいますからね笑。


前回、イメージ法の話をしました。
そこで少し触れた「イメージ」というものについて、もう少し考えてみたいと思います。

イメージは頭の中のものですが、たとえば達成イメージを持つことで、実際に行動に移したときプラスの影響が出ることは、スポーツや学習の分野においても確認されています。

これには、実は、「意識と無意識」が強く関係しています。

ユングによれば、人間が意識しているのは全体の10%程度で、残りの90%は無意識である、ということになります。たった10%です。

大半を占める90%は、無意識だからといってその人の行動に影響を与えていないわけではありません。むしろ、無意識だからこそやっかいな部分もあるといえます。

たとえば、いつも同じような失敗をしてしまう人がいるとしましょう。その人は、日常生活において、常に「次は失敗しないぞ、絶対にしないぞ」と考えています。しかし実際には、また同じような失敗をしてしまうのです。

そんな経験、ありませんか?

これは、実は意識の上では「次は失敗しないぞ」と思っていても、90%の無意識において「自分は次も失敗するに違いない」と思ってしまっているのです。「正」と「負」といってもいい2つの気持ちがせめぎあっているのですが、90%を占める無意識が勝ってしまうのですね。

スポーツや教育の分野で用いられる「イメージトレーニング」は、この90%を占める無意識で思ってしまっている「次も失敗するかも」という気持ちを、完全に拭い去るのは難しいとしても、せめて「なんとか成功できるかも」という気持ちに変えていこうとするものです。「×」だったものを「△」に変える作業と言っていいと思います。

そのように変えるためには、無意識を意識しなければいけません。その方法の一つが、前回触れたイメージ法のような、イメージトレーニングなのです。90%のうちの半分でも手の内に入れられたら、意識10%+無意識45%=55%をコントロールすることができます。半分以上です。今までは10回に1回しか成功できなかったものが、半分以上成功という高確率にかわるのです。

わくわくしますね。

「オレ、できるんじゃないかなあ」
「私、成功できそうな気がしてきた」

って、なりません?

私は単純なので、すぐそう思いました笑。

こういう人間の潜在能力に焦点をあてて、現実への対応力を上げていく方法が、私は大好きです。無限の可能性を感じます。人という存在、持っている底知れない能力を、信じることができます。

人間って、すごいですね。

今回のリラクゼーション技法は、「イメージ法」。

イメージ、という言葉の定義は難しいですが、簡単に言えば、「現実の知覚、感覚、刺激がなくても、心の中、体の中、頭の中で生じる似たような感覚」ということでしょうか。

人の心と体はつながっています。当たり前のことですが、普段あまりこのことを意識する機会はありません。「イメージ法」は、この当たり前のことを上手に活用して、心と体の癒しに役立てようとするものです。

穏やかな海を見ていると、ゆったりと広々した気分になる。

川のせせらぎを聴いていると、のどかな気分になる。

好きな食べ物を食べていると、満ち足りた気持ちになる。

逆に、

黒板につめを立てて鳴らすと背筋がゾーっとする

悪臭をかぐと不快な気分になる

気色悪いものに触れると緊張や不安が増す

これらはみんな、心と体がつながっていることを示しています。普段はあまり「お、今、海を見ているからゆったりとした気分になっているんだな」なんて考えませんが、言われてみれば誰でも「たしかにそういう気分になったよ」ということがあると思います。

そうした場面をイメージすることで、その場面を実際に体験した場合と同じような反応(もしくはそれに近いもの)が心や体の状態に現れるようになります。ですから「イメージ法」を意識的に使えれば、現実世界における心身のリラックスはもちろん、気分転換や気持ちの整理、困難の克服や問題解決等にも生かされるのですね。

イメージ法を実施するときには、まずリラックス状態を作る必要があります。前回までに触れて4つの方法のどれかを用いて、リラックスすることからはじめます。これがないと、快感情イメージ(安心、弛緩、至福、等)を持つことが難しくなってしまいます。

リラックス後、イメージを導く言葉を一例としてあげてみます。

「リラックスして自然体で待っていると、自分がほっとする場面が浮かんできます。海や砂浜、また自分の部屋かもしれません」

「はっきりしたイメージのときもあれば、ぼんやりしたものであることもあります。ぼんやりしていてもかまいません。無理せず待ってみるだけでよいのです」

「体がゆったりして、ほっとしていると、だんだんと気持ちが落ち着くイメージが浮かんできます。いい思いでが詰まった場所だったり、いい気分を感じたことのある場所だったりします」

「すると、だんだんエネルギーが沸いてきます。心にも体にも元気がわいてきます」

「しばらく、その気分や感じを味わってみましょう。しばらく黙っていますから、気分や体の感じをゆっくり味わってみましょう……」

だいたいこんな感じでしょうか。

いきなり一人で実施するのは難しいかもしれませんから、最初は誰かとペアでやってみて、実際にイメージに入れるようになったら、自分で自分に語りかけるようにしてみる、という順番が良いかもしれません。

でも、頭の中のイメージが、心(気分)や体の調子に実際に影響するなんて、人間ってすごいなあ、と思ってしまいます。精神世界と現実を、頭でつないでしまえるわけですから!

なんだか不思議な感覚ですが、私はそういう感覚を持つのが好きです。だって、何でもできそうな気がしてきませんか?不可能なことはない、っていう気持ちになりませんか?…私が単純なだけだという話もありますが笑。

毎日、少しずつ、続けてみましょう。

続いてのリラクゼーション技法は「動作法」。

もともとは、体に障害のある方々の訓練のために開発された医学療法で、「動作療法」と呼ばれていました。

それが、医療だけでなく、自閉症や多動児、神経症や心身症、またスポーツマンへのメンタルトレーニングや、震災被災者の心の回復支援にも適用され、効果が確認されています。

「動作法」にも細かく分けると色々あるのですが、このブログでは、自分ひとりで実施できる「動作法セルフリラクゼーション・肩の弛め」を紹介します。この方法は現在、ストレスマネジメント教育の中で広く活用されています。

実施の手順は、こんな感じです。

(準備)
・椅子にかけます。背もたれにはもたれず、自分の体は自分で支えるようにします。
・ひざの角度は直角にし、両手はだらりとたらします。
・「これから肩を弛めてリラックスしましょう」と声をかけます。

(手順)
①両肩を、耳につけるようにゆっくり上げます。いっぱいに肩を上げたら、肩以外に力が入っていないかどうか確かめます。
②ストーンと、肩の力を抜きます。抜いた後も、すぐ動かないで、力の抜けた肩の感じを感じてみます。すると、もっと力が抜けます。
③これを2回繰り返します。
④静かに目を開け、深呼吸を3回行います。
⑤最後に、大きく伸びをします。

簡単ですね。

簡単なのですが、学校教育の場や、会社内のストレス対策において、効果を上げています。

この方法が一番入りやすいかもしれません。

ぜひ、皆さんもやってみてください。

今回も、リラクゼーション技法を紹介します。
「腹式呼吸」なのですが、リラクゼーション以外の分野で有名な方法ですので皆さんご存知だと思います。

腹式呼吸は、比較的簡単でありながら、深い安らぎが得られる方法です。

実は、人は、赤ん坊の頃は皆、腹式呼吸を自然に行っているのだそうです。リラックス状態にある赤ちゃんは、ゆっくり呼吸をしているのですね。それが、大人になり、ストレスなどがたまると、浅い胸式呼吸に変わっていってしまうのです。

なぜ腹式呼吸が効果的かという理由を、科学的にいくつかあげてみます。

まず、1回の呼吸で出し入れできる空気量が、胸式呼吸では約0.4リットルであるのに対し、腹式呼吸では約2.9リットルにもなります。約7倍です。

また、血液の流れも、重力の関係で、肺の下のほうが活発です。肺の頂点で1分間に約0.1リットルなのに対し、肺の底のほうでは約1.3リットルあります。つまり「腹式=肺の底のほう」を動かしたほうが、血液の流れも多くなります。

つまり腹式呼吸は、呼吸数そのものを減少させ、肺の効率よい部分を使うために、胸式呼吸よりも心臓、肺の負担が軽減するのです。

さらに、腹式呼吸による横隔膜の上下運動が、内部器官を穏やかにマッサージしてくれるという効果も生みます。

いいことばかりですね。

実践の手順は、こんな感じです。

(準備)
・体を締めつけているものは外すか緩めます。
・椅子に楽にかけます。ひざは90度より鈍角に。足を少し前に投げ出す感じ。

(手順)
①目を閉じます。
②肺に残っている空気をゆっくり吐き出します。
③吐き出せたら、下腹を膨らませながら、鼻からゆっくり息を吸います(3~4秒)。
④いったん息を止め、今度は下腹をへこませながら、ゆっくり吐き出します(5~6秒)。
⑤自分のペースで繰り返す。
⑥これを、大体3分から、長く時間が取れるなら10~15分程度続ける。

実施時のポイントは、

・吐く方に重点をおくこと。吸う時間の倍かける感じで。
・あまり秒数や腹式にとらわれすぎない。自分にとって無理のないリズム、ペースを心がける。
・毎日繰り返す。

ということです。

簡単ですよね。

朝、出かける前や、誰もいない会社ついたときなどの時間を使って、早速やってみてはいかがでしょうか。

以前、漸進的リラクゼーションについて触れましたが、自分ひとりで行う方法もあります。それが「自律訓練法」と呼ばれるものです。

「自律訓練」なんて、言葉にしてみるとカタイ感じがしますが、この方法は様々な分野で広く取り入れられています。医療や健康分野はもちろん、教育や会社、スポーツにおいても使われています。

『高校野球チームで実践したら、選手が練習どおりのパフォーマンスを見せるようになった』
『教室にいられず頻繁に保健室に来る生徒に実践したら、授業欠席が激減した』
『会社の外回り営業で緊張してしまい巧く話せない若い社員に実践したら、営業成績が上がった』

といったような効果が確認されています。「訓練法」というより、「心の体操」「心身のリラックス健康法」というふうに考えてもらったほうが分かりやすいかもしれませんね。

基本的には、「漸進的リラクゼーション」を自分ひとりで行う方法である、と考えてもらえればよいと思います。

自律訓練法では、リラックス状態を深めていくための、心の中でつぶやく言葉が7段階用意されています。ゆったりした椅子にかけ、目を軽く閉じ、少し部屋を暗くして始めましょう。

①「気持ちが落ち着いている」
②「両腕、両足が重たい」
③「両腕、両足が温かい」
④「心臓が静かに、規則正しく打っている」
⑤「楽に呼吸をしている」
⑥「お腹が温かい」
⑦「額が心地よく涼しい」

この言葉を、心の中で繰り返しつぶやきながら、心を開放します。①~⑦までを、5、6分かけて、ゆっくりと進めます。先日述べた漸進的リラクゼーションでは、②の段階までは進めていたことになりますね。

最終段階まで進んで、リラックス状態を得るためには、一日に2~3回の練習を、3ヶ月から半年続ける必要があります。

この方法は自分ひとりで行うために、雑念が入ってしまったり、うまくできない、という焦りが生じてしまったりします。でも、最初からうまく落ち着けるはずはないのです。逆に、落ち着けないから練習しているわけですから、「心の落ち着きに近づけばいいんだ」くらいの軽い気持ちでやってみたほうがよいと思います。

リラクゼーション法には、まだ他にもいろいろなものがあります。今までに紹介した「漸進的リラクゼーション」「自律訓練法」の他にもいくつかあるので、これからも紹介していきたいと思っています。

人はひとりでは生きられません。

周囲にいる誰かとストローク交換をし、コミュニケーションをとらないと、ストレスのカタマリになってしまいます。

ひとりの人間として、私も、誰でも、辛いときがあります。そういうとき、近くにいる誰かが、自分に対して気持ちを向けていてくれていることのありがたさを痛感します。

友達がかけてくれるひとことのありがたさ。
親が気遣ってくれる言葉の温かさ。
恋人がなにも言わずに抱きしめてくれることの充足感。

こういう他者からのストロークによって、人は何度も救われ、時には救い、支えあって生きていると思います。

このごろ頻発している殺傷事件の容疑者は、

「誰でもいいから殺したかった」
「親(上司)に迷惑をかけてやろうと思った」

という犯行動機を語っていましたが、こういう彼らの声を聞いていると、究極のストローク不足が決定的な行動に走らせてしまったのではないか、という悲しい思いが心の奥からせり上がってきます。

近くに、彼らに声をかけてあげる人は一人もいなかったんだろうか。心配しているよ、気遣っているよ、と態度に出してくれる友人はいなかったのだろうか。全て許すから、と言って、ただただ抱きしめてくれる親や恋人はいなかったのだろうか。そう思えてなりません。

私は犯罪心理学の専門家ではありませんから、それだけが原因だと断定することは出来ません。しかし、人の温かみ、人肌の体温、というものは、かなりの大きな部分において人を救えるものだと、私は確信しています。

私は、人として生きるときに最も重要なのは「他者からの温かみ」だと思っています。もちろんこれは裏返せば、「近くにいる他者へのあたたかい愛情を自分から示す」ことでもあります。

みんなが、今より少しだけこういう意識をもって周囲に人とコミュニケーションをとり、プラスのストローク交換が出来るようになれば、悲しい事件は減るはずだと信じています。

私は自分に出来ることをひとつづつ、やって行こうと思います。

カウンセリングにおいて、クライエントが過度に緊張している時はリラックスしてもらう必要があります。そのときに用いるのが、リラクゼーション技法です。

クライエントが落ち着きを失っているとき、緊張してしまっているとき等、とても効果的です。

また、クライエントが悩み事から自信を失っているような場合でも、リラクゼーション技法を行うと、心身ともにリラックスできるので、落ち着いて、余裕を持って自分のことを考えることができるようになります。

中でも私が効果的だと感じているのは「漸進的リラクゼーション」というものです。これは筋肉に力を入れてから力を抜き、弛緩させることでリラックス状態(手足が重く感じる、暖かく感じる状態)に入っていくものです。

そもそも、筋肉を弛緩させることには、不安制止効果があるのですね。体の力を抜いて、ダラッとしていると、たしかにドキドキする不安感からは離れることができます。

漸進的リラクゼーションを行う場合、体のどの部位からはじめるか、決まっています。

①手、腕(右※利き手から→左→両手→両前腕→両二腕)
②顔(額→目→あご→舌→唇)
③頸(後ろ→右→左→前)
④肩(上下→前後)
⑤胸
⑥腹
⑦背
⑧脚
⑨全身
⑩大きく深呼吸

この順にそって、筋肉に力を入れ、弛緩させることを繰り返していきます。しっかりやると、全部位が終了するのに、40~50分かかります。

私は、やってもらったことも、自分で自分にやることも、クライエントに行ったこともありますが、これ、とても気持ちいいんですよ。

かなりリラックスできました。

手足が暖かい、という感覚までは行きませんでしたが、心地よい重さを感じるくらいにはなり、最後の深呼吸のところでは、すっかり半覚醒状態というか、半催眠状態に入っていました。心地よくて眠くなる感じ。

以前このブログでも触れた、フォーカシングの感覚に近い気がします。私自身、フォーカシングを経験していたので、リラクゼーション技法がうまくいったのかもしれません。

この方法は、カウンセリングの場面だけに限定しなくても、たとえば緊張してしまうスポーツ選手、プレゼンの前の社員、発表を控えた技術者、という方々にも効果的です。

もちろん、日々の疲れを抱えるサラリーマンや、家事が忙しい主婦の方々にも大きな効果があると思います。

日頃のストレス、緊張感、不安感などが少し軽くなるだけで、身体の疲労感もかなり軽くなります。お話しするだけのカウンセリングではなく、こうした身体をつかって心に入っていく技法も効果的に行って生きたいと思っています。

自分を知る方法として、いろいろな方法を書いてきました。
フォーカシングだったり、アートセラピーだったり。

今回は、そうした方法からちょっとはなれて、「詩を書く」ことについて、考えてみます。

セラピーの一つとして詩を書く場合は、部屋の中よりも外に出て、自然の中で思うままに言葉にしてみることがよいと思います。

自分が目にしている自然。
木々や石、風や雲。
夜だったら星のきらめき。

何でもよいので、そういうものを見ながら自然の中にいる自分を感じてみます。大きな自然の中で生かされている自分を意識してみます。

私もやってみたことがあります。

夜、外に出て、ライトアップされた木々や星を見ながら、そして風を感じながら、自分について考えました。

「考えた」というより、ボーっと、焦点を(あえて)あわせないまま、自分を「感じていた」といったほうが正しい気がします。

書いた詩は、恥ずかしいのでここには書きません(笑)が、私が思い、感じていたのは、自分を取り巻く時間についてでした。

夜空で輝いている星の光は、実際には何万年も前の光です。自分が感じている風は、たぶん、ずいぶん昔に、ずいぶん遠くで生まれて、私に吹いています。足元に落ちている石も、もしかしたら何十年、何百年前に生まれたものかもしれない。

それぞれが、それぞれの長いスパンを生きながら、ほんの一瞬だけだけれど、私と確実に触れ合っている。

出会いと時間の不思議さを感じます。

偶然と必然について考えます。

そして、「自然は大きいよなあ」という当たり前のことを感じながら、その中にいる自分が何かであくせくしていることが小さなことに思えてきます。

なんだか落ち着いた気持ちになりました。

今度は昼間、自然を感じながら、公園や川原でフォーカシングをしてみようと思います。

何か問題を抱えて悩んでいるときは、視野が狭くなっていることが多いですよね。冷静さを欠いてしまっているので、自分中心にしかモノを見ることができない。自分の視野に、自分自身が写っていない感じ。

相談者の話を聴いていてもそうなっていることが多いですし、私自身の経験に照らしてみても、そうです。客観的になれないのですね。このことは、以前No.26「論理的帰結」のエントリでも触れました。

そういう状態から抜ける方法の一つに、「内観法」というものがあります。

これは、日本で生まれた心理療法です。心理療法、といってしまうと敷居が高く思われてしまいそうなんですが、私自身はこの方法を知ったとき、「日常生活でいつも意識できれば、とてもいいなあ」と思いました。

もともとは浄土真宗の「身調べ」という深い内省を促す方法だったものを、現代風にアレンジしたものと考えてもらえればよいと思います。

簡単に方法を記します。

内観法は、今まで接してきた家族(最初は母親からはじめます)や同僚、友人など一人ひとりについて、

・「してもらったこと」
・「して返したこと」
・「迷惑をかけたこと」

の3点について具体的に調べます。年代順に過去から現代まですべて。そして、それを通して、

「自分がいかに周囲の人にさまざまなことをしてもらっているか」

を実感し、さらに、多くのしてもらったことに対して、

「自分はいかに何も返していないか」

ということを具体的事実として知るのです。

集中して内観した結果、自分の立場で自分の側からしかものを見られなかった人が、相手の立場でものが見られるようになり、さらに第三者の立場で事実を事実として客観的に見ることができるようになります。

自分は、お世話になった身近な人たちに対して、いかに何も返しておらず、逆に迷惑ばかりをかけてきたかを知り、その上で周囲の人にたいする感謝の念や、自分は生かされているのだという喜び、安らぎをあじわうのです。

その結果、いろいろな気付きが得られます。

自分の立場で自分の側からしかものを見ていないということは、「自分に都合のいいように見る癖がついている」ということです。ふつう、人は日常生活で「自分に都合のいいようにならない」ことを悩みの種にしています。ところが、「第三者の立場で事実を事実として客観的に見ることができる」ようになると、実は悩みの大半を自分の側で作り上げていたことに気がつくのですね。

いかがでしょうか?

本格的に内観しようと思うと、結構な時間がかかると思います。でも、家族や職場など、日常生活の中でいつも会っている周りの人たちについて、まずは最近のことだけでも良いですから、「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」について考えてみてはいかがでしょうか。

これも、このブログで私が何度か書いてきた、「自分を知ること」につながると思います。心理療法は西洋のものから東洋のものまで多種多様にありますが、どの方法も、やはり「自分を理解する」ことが根本にあるのですね。

あらためて、「過去と他人を変えることはできないが、自分が変わることならできる」というエリック・バーンの言葉を思い出します。

この数年、痛ましい無差別殺傷事件が起こっています。
亡くなられた方、被害にあわれた方、そのご家族のことを思うと、心が痛みます。

こうした凶行を行った容疑者の動機を聞いていると、自分の中の不満を無関係な方々にぶつけているものがほとんどです。曰く、

「○○に恥をかかせてやろうと思ってやった。」
「誰も自分のことに注意を払わないのでやった。」

生きてきた境遇は人それぞれですが、こうした発言から考えられるのは、完全なる「ストローク不足である」ということではないでしょうか。

「ストローク」については、以前エントリでふれましたが、簡単に言えば「人は他者とのストローク(スキンシップ)交換が出来ないと、生きていけない」というものです。

人はひとりでは生きられません。必ず誰かに自分を認めてもらわないと不安で仕方がないのです。プラスのストロークの方がよいのですが、マイナスのストロークでも、ないよりはましです。

一連の容疑者の話を聞いていると、明らかにストローク不足から不安におちいっている状況が見て取れます。もちろんそれだけではありませんが、彼らの近くに、誰かひとりでも親身に話を聞いてあげる人がいたら、このような痛ましい事件は減らせたのではないか、という気がしてなりません。

本来であればその役割は親が最初になすべきなのですが、家庭環境によってはそれが出来ないケースもあります。それでも、人はなんとかして他者とコミュニケーションをとろうとするものですが、なかにはどうしてもそれが出来ない人もいます。

彼らが行ったことは許されることではありません。犯した罪を償うのは当然です。しかし、こうした事件を根本的になくすためには、ただ彼らを糾弾しても仕方がない。今までとは異なったアプローチが必要になると思います。

彼らはその生活の中で、どこかで誰かにサインを発していたはずなのです。
「私を、認めて欲しい」と。

誰かが気づいてあげないといけない。
でなければ、事件は減らないかもしれない。

何か出来ることはないだろうか?
即「これだ」という方法はなかなか思い浮かびませんが、自分に出来ることからやって行こうと思います。

カウンセリングの基本は、自分をよく知ること、理解することです。そして、自分を知っていくと、自分は他人とは違うんだな、というごく当たり前のことを、痛感します。

これは他者との比較によってわかるというより、自分の中にある自分を形作っているものが、あまりにも自分独自の個的なものであるために、まったく同じ経験を他の人がしているわけないよなあ、という想いが強くなるからだと思います。

人はそれぞれ、みんな違います。違う、ということを認識しなければ、他者を理解することはできません。しかし、人は常に「自分のことをわかってほしい」「理解してほしい」「認めてほしい」という願望を持っています。この願望が、「わかってくれるんじゃないか」という思いに変わってしまいがちなのですね。

「わかってくれるんじゃないか」という思いが強いと、「わかってくれるだろう」「言わなくてもわかるよね」という気持ちになってしまいがちです。これでは、共感することはできません。寄り添おうという気持ちも生まれてきませんよね。

心理学を学び、カウンセリングを実際に行っていると、いつもこのことを痛感します。人がみなそれぞれ違うことは当たり前のことで、違うから寄り添おうと努力しなければいけないし、違うからこそ共感できればクライエントは癒されるのだと思います。

最近の世の中で起こっている様々な問題は、その根っこに、「他人は自分のことをわかってくれて当然」という考えがあるように思われてなりません。他者が自分のことを理解してくれるのが当たり前、というところから発想してしまうと、わかってもらえなかった場合、不安が生まれ、不満につながってしまうのではないでしょうか。

自分と他人は違います。
言葉、態度に出さなければ、想いはとどきません。
だからこそ、共感し、理解しあえたときの喜びは大きいのです。

みんなそれぞれ違っている。いいとか悪いとか、上とか下とか関係ない。違うことを違うまま、ありのままに受け容れていけばいい。その上で、寄り添っていく。

いつもそうありたい、と思っています。

母親がわが子を手にかける、という悲しい事件が起こっています。
やるせなくなります。

なぜ、自分の子を手にかけることが出来るのだろう、ということを考えていたとき、以前、私のところに訪れた若い母親の話を思い出しました。

彼女の相談は、

「2歳になる娘が泣くとイライラしてつい怒鳴ってしまったり、体をゆすってしまったりする、娘はもっと大泣きするし、自分でも自己嫌悪におちいってものすごく後悔するのだけれど、どうしても怒鳴る自分を止められない」

というものでした。

カウンセリングを進めていくうちに彼女の子ども時代の話になりました。

彼女自身、曖昧ながら持っている幼い頃の記憶では、「泣くことはいけないことだ」という思いを強く持っていたようなのです。「泣くと怒られた」とか「簡単に泣いてはいけない」といわれたとか、彼女の中で「泣く」ことは「悪いこと」「怒り」「注意」「怖い顔」というイメージとリンクしているのです。

子どもは泣くことが仕事だといわれます。私が今住んでいるマンションでも、近くに若いご夫婦が住んでいらして、日曜日などよく赤ん坊が泣く声が聞こえてきます。泣き声とセットで(なんて言っているのかまではわかりませんが)母親があやす声も聞こえてきて、それは私にとっては、のどかな、幸せの象徴のような気がして、つい微笑んでしまいます。

もちろん私はその子の本当の親ではないですから、実際に外から見えないところでされている苦労はわかりません。でも、子どもが泣くことは、「元気がある」こととイコールだと思う方は、私以外にもたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。

しかし、そう思えない親御さんも、増えている気がします。

先ほどの若い母親は、「泣くことはいけないこと」という原体験を持っていますから、自分の子どもが泣くことに対してマイナスの感情しか抱けないのです。「子どもが泣くことは元気の象徴だ」とか「泣く子は育つ」などとはとても考えられない。結果、それが苛立ちにつながり、怒鳴ったり、ときには子どもに対する暴力にまでつながってしまうのではないでしょうか。

これは、残念ながら、理性でどうにかできるものではありません。「泣く」ことに対する負の思いは幼い頃に自分に刷り込まれたものであり、今の母親の人格の一部になっているからです。そう思う人格も含めて「自分自身」なのです。そしてこうした母親の元で育った子どもは、大人になって子どもを得たとき、同じように子どもが「泣く」ことに対して良いイメージを持つことが出来ない…。こうして「負の連鎖」は続いていきます。

自分の人格をかえることはたしかに難しいことです。でも、このブログでも何度か書いてきましたが、「自分を知ること」によって「なぜそういう行動をとってしまうのか」に気づくことは出来ます。今まで気がつかなくて悩んでいた自分の言動に、理由を見つけることが出来るのです。そしてそういう自分を自分で認めてあげる。これだけでも、その後の子どもに対する思いが確実に変わってきます。

「自分はこうだからしょうがない」
「自分にはとてもできない」
「いけないと思うのに、なんでやめられないのだろう」

こんなふうに思っても、あきらめないでほしいと思います。必ず、解決の糸口はそう思っている自分自身の中に存在しています。ですから自分ひとりで悩まないで、相談してみましょう。

人は必ず変わることが出来ます。
そして、幸せな、充実した人生を営むことができます。

私も、微力ながら、幸せを得たいと考えている方の力になりたい、と常に思っています。

心理療法の一つに、アートセラピーがあります。

クライエントに絵を描いてもらったり、箱庭を作ってもらったり、また雑誌の切抜きを使って切り貼りするのもあります。

以前、「直感を描き出す」のエントリでも触れましたが、色々な方法があります。

・スクウィグル法
・風景構成法
・HTP(=家、木、人、の頭文字)法
・動的家族描画法
・円枠家族描画法
・箱庭療法
・コラージュ療法

小さな子供でも抵抗感なく取り組める楽しさを伴っていることも、よく用いられる要因のひとつですね。

アートセラピーの効果は3つあるといわれています。

・カタルシスが得られる
・知らなかった内面を具体化できる
・右脳が活性化される

右脳はイメージをつかさどる部分です。感性、感覚を扱う役割ですね。たしかに絵を描いていると、いつの間にか没頭している自分に気がついたりして、驚くことがあります。こういうときは、気分がいいですよね。右脳が活性化されているからです。

しかし、こうしたアートセラピーの良さが、逆に症例を悪化させてしまうこともあります。それは、クライエントが統合失調症、境界例の場合です。

統合失調症は、少し前まで精神分裂症といわれていました。症状は多様ですが、幻覚や妄想が主です。境界例は、精神病レベルと神経症レベルの境界線上にあると考えられたことからそう呼ばれるようになったのですが、表にあらわれる症状は統合失調症とに似ています。

こうした症例のクライエントにアートセラピー、たとえば箱庭療法を実施すると、どんどん空想の世界に入り込んでしまいます。結果、かえって妄想や幻覚を促進することになり、症状を悪化させてしまうのです。

ですからこういうときは、クライエントの左脳、すなわち現実的、論理的な内容を扱う分野に働きかけるのです。

「あなたのお名前はなんとおっしゃいますか?」
「あなたのお住まいはどちらですか?」

こういう質問によって、空想に入り込んでいたクライエントを現実に引き戻すのですね。

カウンセラーが人の心を癒す仕事である以上、脳医学の知識も必要になります。医師になれるほどの知識ではなくても、脳の働きの基本的は事柄は、しっかり理解しておきたいと思っています。

難しい本が多くて大変だけれど、がんばります。

知り合いから相談を受けることがあります。このとき、私はまず、「どの相談だろう?」と考えます。相談には3種類あると、私は考えているからです。

1つめは「とにかく聞いてほしい」型。

この場合、特にこちらは何も言わなくても、相談者はしゃべるだけしゃべって自己完結します。こちらの反応の有無や相槌の言葉には関係なくどんどん話し続けますから「これは聞いて欲しいんだな」とわかります。このときの相談者は、何かを「解決しよう」とか「突き詰めよう」とかあまり考えていません。「あなたに話したらなんだかすっきりした。ありがとう!」というあれですね。

こういう相談のときは、ただ「うん、うん」「そうだよね」「そりゃひどいね」「大変だったね」「よく頑張ってるよ」等、状況に応じて相槌をうってあげます。決して自分の意見を言って、相談者の話をさえぎってはいけません。とにかく聞く。そうすれば、相談内容にかかわらず相談者は気分良く帰ることができます。

2つめは「何か助言してほしい」型。

この場合は、はっきり「どうしたらいいと思う?」「助けてくれないかな?」という問いかけがあるのですぐわかります。1つ目と違って、相談者が具体的なアドバイスを欲しているケースですね。相談者と自分は当然同一人物ではありませんから、自分の経験則から話すアドバイスが相談者の悩みにあてはまるかどうかわかりませんが、自分の思うことを率直に、できれば複数、相談者に投げかけてみます。

相談者は、どうしてよいかわからず助けを求めて相談しているので、なるべくすぐに行動に移せるような助言をします。その際、「そうしたほうがいいのはわかるが、踏み出せない」ということも多いので、その一歩を踏みだすために言葉で励ましながら背中を押してあげましょう。こちらがしたアドバイスを参考にして行動するか、最終的に自分の考えを実行に移すかは相談者が決めることですが、判断するための選択肢を与えているという感覚で助言できれば良いですね。

3つめは「自分で乗り越えたい」型

これは誰かに話すことで自分を考えをまとめ、自分なりの結論をだそうとするケースです。この場合は、意見は聞かれますが具体的な助言を求めてくることは少ないです。相談者が自己洞察することが相談の目的なので、こちらも相槌を打つことが中心になります。そして、ところどころで相手の話を要約してあげて、「君はどうなったらいいと思っているの?」「あなたはどうしたいと思う?」と相談者に考えてもらえるような言葉の投げかけをします。

カウンセリングに一番近いのは3つめですね。少し異なるのは、カウンセリングを受けに来るクライエントさんは悩みの大きさに打ちひしがれて、最初から「自分で乗り越えてやろう」とは思っていないところでしょうか。話のなかで少しずつ相談者本人の気持ちを自分で気づいてもらって、最後はクライエント自身に「こうしよう!」と思ってもらう。ごく簡単に言えば、これがカール・ロジャースの「来談者中心療法」の基本的な考え方だと思います。

日常生活においては1と2のケースがかなり多いと思います。3は相談者の心の問題に原因があることが多いので、場合によっては本格的なカウンセリング、セラピーを受ける必要がありますが、1,2の場合でしたらあなたが近くで話を聞いてあげることで、相談者の心はかなり楽になります。

周りにいる悩みを抱えた方々の話を、皆で少しずつ聴いてあげられれば、きっとたくさんの人が楽しく過ごせると思います。

自分のことをより深く知る方法のひとつに、自分の価値観を知る方法があります。

私たちは、今まで生きてきた経験の中から、自分の行動について一定の指針、基準を得ていきます。そして得た基準が私たちの生活に方向性を与えるようになります。この基準が価値(価値観)です。

自分がどういう価値観を持って行動しているかを知ることは、自分の行動基準を知ることにつながります。

自分の価値観を意識化してみたら、たとえば、「普段何気なく行動していたつもりだったが、実はある傾向があった」、また、逆に、「自分では一定の傾向があると思って話したり行動したりしていたが、実は自分の考えとは別の傾向があった」ということが浮かび上がってくることがあります。

自分の価値観を正確に把握できれば、自分のことをもっと知ることができますし、他者と対応するときも自分の価値基準がわかっているから、知らなかったときよりスムーズな対応が可能になりますよね。

自分の価値観を意識化する方法を、簡単に記します。

①まず、「今やってみたいなあ」と思うことを、どんなことでもいいのでたくさん書き出してみます。できれば15~20コ以上あったほうがよいでしょう。

②書き出したものを、以下のA~Gのどの項目に該当するかどうかチェックしましょう。場合によっては1つしか当てはまらない(0ゼロの場合もあるかも)ものもあったり、反対に、7つすべてあてはまるものもあるかもしれませんが、それはそれでかまいません。

「自分が書き出した、やってみたいことは…」

A:自分が自由に選んだものですか?

B:いくつかの選択肢の中から選んだものですか?

C:実際にやってみた場合に起こるであろう結果をよく考慮したうえでの選択ですか?

D:それはやってみてよかったと思えるものですか?

E:自分がそれをやってみることを、他の人々に公表できるものですか?

F:具体的な行動に移せるものですか?

G:繰り返し実行できるものですか?

あてはまる個数は多くても少なくてもかまわないのですが、基本的な考え方として、あてはまる個数が多いほうが自分の価値基準のより中心に近いところにある、と考えられています。

ただし、1つ2つしかあてはまらなかったものも、それらは部分的な価値を持つものであって、決して重要でない、ということではありませんので、否定的に見る必要はまったくありません。

いかがでしょうか?

私もやってみました。

私のやりたいことの中では、やはり今の仕事にかかわることが自分の価値観の中心に近いところにあるなあ、ということがはっきりしました。これは予想通り。もちろん他に、自分で見ても「へー、そうか」と思う傾向もありましたが、ここでは書かないことにします!笑

自分の価値観を知ることで、今までは「なぜかこの人とは合わないなあ」と思っていた人とも、うまくコミュニケーションがとれるようになるとうれしいですね。

最後に自己愛性人格障害の診断基準に触れておきます。

アメリカ精神医学会によれば、自己愛性人格障害は、「空想または行動における誇大性、賞賛されたいという欲求、共感の欠如など、様々な形で成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる」とされ、以下9項目のうち5つ以上あてはまると自己愛性人格障害の可能性がある、といわれています。

以下にその9項目をそのまま抜粋します。
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1.自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績やオ能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)。

2.限りない成功、権力、才気、美しき、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。

3.自分が特別であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。

4.過剰な賞賛を求める。

5.特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。

6.対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。

7.共感の欠如(他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない)

8.しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。

9.尊大で傲慢な行勤 または態度をとる。(抜粋ここまで)
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もちろん誰だって、ある程度の「軽い空想」はすることがありますよね。ですから程度の問題なのですが、ではその判断基準はというと、「現実と妄想の切り替えができるか」、「妄想は妄想、現実は現実だ、としっかりわかっているか」ということです。

最終的には精神医に診断してもらわなければなりませんが、私たちも多様な現実を生きていく一人として、こうしたことを知識として知っていることが大切ではないかと思います。

自己愛性人格障害者は、青年期になると、前回書いたような母子関係から生じる「見捨てられる惨めさ」を回避するため、惨めな自分とは正反対の自分を空想、妄想するのです。皆から愛され、皆の注目を集め、多くの人から惜しみない賞賛を浴びる自分。そんな白昼夢に耽るのです。

このような妄想は、見捨てられる惨めさを解消してくれるだけではなく、栄光に満ちた輝かしい自分という空想に浸る快感をも与えてくれます。しかし、妄想と現実との区別がつかなくなってしまうと、さまざまな問題を引き起こします。

たとえば、本当は自分が他人に嫉妬している(=現実)のに、他人が自分に嫉妬していると思ったり(=妄想)します。他人から批判されると、あれは私に嫉妬しているからだ、などと言ったりします。こういう詭弁によって立場を逆転させ、自分を守るのです。

「見捨てられる惨めさ」を回避するためには、何がなんでも自分が優位に立たなければなりません。自分が劣っていると認めることは、幼いころの哀れで惨めな自分に結びついてしまいます。どんな手段を使ってでも、どんなにつじつまの合わない空想、妄想であろうと、自分を守るためにしがみつかざるを得ないのです。

他人から侮辱されたと思い込んだりした場合、自分を守るために、非常に激しく怒ったりします。周囲から見ればあまりにも自己中心的な怒り方なのですが、本人は必死です。妄想の種になるようなものがないときは、他人の欠点を捜し出して見下したりします。ありとあらゆる理由をつけて他人を見下します。実際にどうであるかということよりも、とにかく見下すことができればそれでいいのです。

他人を見下すということは、ときには他人からの報復として、自分が陥れられるかもしれないという疑いを生み、非常に疑い深くなったりします。すると他人に心を開くことなく、自分の妄想の殻の中に閉じこもってしまいます。

このような言動は、現実世界の対人関係において色々な問題を生みだすのですが、自分を守るために止めることができません。妄想が崩れたら一気に鬱状態になったりパニックになったりしてしまいますが、少なくとも妄想にしがみついていられる間はもちこたえられるからです。

しかし、当然のことですが、現実というものは必ず自分の周り、すぐ近くに存在します。ですから妄想を維持するためには、現実の脅威に対して常に妄想を補強し続けなければなりません。

でもそんなことは不可能ですよね。やがて妄想が維持できなくなったとき、悲惨な現実にうちのめされ、現実のほうを自分の妄想に合わせようとしたり、現実を認められない自分を傷つけたり、どうにもならない現実を破壊しようとしたりするのです。

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